2号館が満席となったので再構築し、新たに「SWALグッズ3号館(レアグッズ新館)」として開設しました。 一部のグッズは“OB(オーバーブック)”により2号館から引越しをして来ました。またこれからの“新規予約”されたグッズの品々はこちらに展示していきます。 最近はなかなかグッズの“新規予約”がありません。みなさんの押入れや引き出しの奥のほうで眠っているグッズの品々に是非ご搭乗願いたく思っております。 “お友達”紹介キャンペーン実施中です…
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タラップステッカー ちょっと見ただけでは大きいのか小さいのか実感が湧きませんねぇ… なので測ってみました。横42cm x 縦8.5cmあります。 けっこう大きなステッカーなのです。 実はこのステッカーはこのサイトをご覧になった方から提供いただいたものです。 多分ドア周辺あたりに貼ってあった…という情報をもとにいろいろと写真をひっくり返して探してみました。 でもなかなか見つかりません… そんな時、視線を少し下の方にずらしたところ、これとそっくりのものを見つけました!! まだまだ設備の整っていない地方空港でも、自らが持つタラップを機体から押し出せばどこでも乗り降りが出来る…のがB-737-200の良いところでした。 そう、そのタラップの蹴上げの部分に「南西航空」と「SWAL」の文字が交互に表示されていたのです。 まさにその文字こそがこのステッカーであろう…と断定しました。 これはYS-11の同じ場所にも貼ってありましたね。 ステッカーの写真にマウスの乗せてみて下さい!!ご提供者の「南十字星」さん、ありがとうございました。 |
B737の油絵 久々の大物が登場です。!! 写真で見ると大きさが解りづらいと思いますが、120cm x 90cmもあります。 そしてご覧のように機体に関してかなり精巧に描かれています。 この油絵は紆余曲折を経てこの写真館にやって来ました。そしてこうして日の目を見ることになったのです。 この絵が描かれたのはおそらく1978年のことと思われます。レジはJA8443ですね。 作者はわかりません。寄贈者はボーイング社です。南西のB737の就航を記念して贈られたそうです。 それ以降ずっと社内に飾られていたようです。聞くところによると運航部の部長席の壁にあったそうです。だから一部の社員しか見たことはないのかも知れません。 南西からJTAに社名変更になった時不用品扱いとなったようですが、それを社内の方が廃棄するには忍びないので貰い受けたとの事です。 そしてそれを譲り受けたご提供者さんがさらに管理人に譲っていただき、こうして公開に至りました。 ご提供者の「SWAL OB」さん、貴重なものをありがとうございました。 |
年賀状 一年の計は元旦にあり!! というわけで待望の年賀状の登場です。 ほんとはもっとあったはずなんだけど、残念ながら現存するのはこの4枚。 一番左はなつかしい版画家の儀間比呂志さんの作品ですね。卓上カレンダーもこの時期は同様の版画デザインを採用してました。 下は那覇〜岡山線の開設を控えた1988年のもの。 1989年、1990年のものは共にハイビスカスをあしらっている。 …最近は年賀状の発送枚数が減っているんだとか。確かに受け取っても特徴のない賀状は記憶にも残らない。デコメールとかのほうが簡単だし、お金もかからない。 でも印象に残ったものは捨てにくいし、そうしたものは毎年見比べる楽しみがあって、結果としてこうして後世に残るわけだから古くからの習慣はやはり大事ということかも。 |
Many of SWALマーク SWALマークがいっぱいです。 えーと、こういうの何て言いましたっけ?? 確か「清刷(きよずり)」だったような… ある解説によれば「会社・団体や大会のロゴ・マークなどの元になる原稿」となっているから、まあ当たりかな。 これも公開するようなものか悩みましたが、良く考えればこれがこのホームページの下地(「しもじ」じゃなくて「したじ」)になっているわけだから、やっぱり載せておかなくてはね。 それと下部は見てのとおり、機体などとも共通する色見本ですね。 「使用上の注意」には細かく色の指定が書かれている。 まあ、よくよく考えてみればその通りなんだけど、社名の部分は黒じゃなくて紺色が正しいのでした。 紺色と赤は旧塗装時代から基本的に変わっていないわけで、それに大胆なオレンジ色が加わったわけですね。 この色見本部分はキリトリ線が入っていて、切り離せるようになっています。 |
ガムテープ 普通の人「ちょっと誰がガムテープ持ってない ? ・・・あっ、あったあった。」 管理人「ダメダメ ! これは絶対に使ってはいけません。」 普通の人「なんで ? いいじゃない、こんなにあるんだし…」 管理人「ただのガムテープじゃないのよ。これ。」 普通の人「そう ? 南西航空って書いてあるだけじゃない !?」 管理人「そこが重要なんだよね。それに一巻まるまる残っているんだし。」 普通の人「だからちょっとぐらいいいじゃない !!」 不毛な会話はいつまでも終わらない・・・ |
取扱注意 貨物ステッカーの王道が登場です。 このマークはどこの航空会社でも基本的に共通ですね。ワイングラスが2ヶ所でカケてるやつ… 私、昔空港で貨物の積み卸しのアルバイトをしてました。(ん!?どこかで聞いたフレーズ) よくこのステッカーが張ってあるアイソトープの軽い箱を特に取扱い注意もせずポンポンと貨物室に積み込んでいました。 ほんとうのコワレモノは絶対に預けないほうがいいと思ったのはこの時からです。 でも生ウニの箱は本当に慎重に取扱います。倒すと商品価値がさがってしまうからです… これと同じ感じ?? |
危険物ステッカー 『波照間少女“プチ”物語』 「波照間の少女は飛行機が好きで、空港でよく遊んでいました。」 「そこで働く人々の姿はとても興味深く、一日中見ていても飽きることはありませんでした。」 「ある日、カウンター越しに中をのぞてい見ると、きれいなステッカーが目に入りました。」 「少女はそれが欲しくてたまらなく、ある時勇気を出しておねだりしてみました。」 「すると空港職員は、一つづつそれを取り、そっと手渡してくれました。」 「少女はそれを宝箱にしまい、時々出しては並べて楽しみました。」 「…そして時が経ち、大人になって、娘が当時の自分と同じぐらいの年になり、ふとその宝箱を開けてみると、色鮮やかなステッッカーが出てきて、楽しかった波照間での生活が思い出と共に蘇りました。」 …これはその方からご提供いただいた品々です。上の「取扱注意」のステッカーに比べこちらは危険物に貼るものですから、普段はあまりお目にかかりません。 マークはいくつか見たような気もするけど、この番号は何なんだ…と思いいろいろ調べたら、これらはIATAの基準で定められていて(〜ちなみに中央の1.4は火薬類(1がその分類)で、旅客機に積載可能(1.4以外はNG)なもの〜)、現在でも図柄は全く変わっていない、言わば現役のステッカーなのです。勿論「南西航空」のロゴ入りですから超レア物です。 ちなみにこれらの説明は ここを覗いて見て!! |
ブランケット 女性の方には必携かも知れませんが、暑がりの私にとっては無用の長物… であったのですが、実物が手に入ってしまいました。 そうです。機内でスチュワーデスさんが渡してくれるアレです。 暖かい沖縄で毛布を使うということは、機内のクーラーが効き過ぎている時が活躍の場? それで思い出しましたが、沖縄の人ってけっこう寒がりが多いですよね。 内地から冬に渡沖すると暖かくて気持ち良いのですが、うちなんちゅーはコートを着込んで手袋までしている人がいる・・・ そんな時にはこの毛布を羽織って国際通りを歩けば体もポカポカ。(恥ずかしっ) |
スワルプラン ローマ字で書けばSWALPLAN。 これ、南西の便を利用したパックプランの名称で、当時のJAL「日航ジェットプラン」沖縄県内版のようなもの。 そしてこのツアーで利用する協定ホテル、旅館の玄関口にぶら下げられていたのがこれ。 黄色いオーバーオールを着たスワル君(あと女の子でプランちゃんていうのも居た気がする…)がようこそと出迎えているわけですね。 大手JTB、近ツリ等の看板の一角を占めていたらしいのですが、当時あまりこれを見た記憶がないんです… ちなみに現名称はJ-TAP。JTA商事は昔「南西流通企画」と言いましたとさ。 |
石鹸 これはB-767のトイレに配備されていたもの。737やYSにもあったかどうかは不明です。 なにしろ短距離路線中心だし、窓からきれいな景色を眺めることを半ば"義務化"している私にとっては、南西のトイレにあまり入った記憶がありません。 昔の飛行機はトイレ内のアメニティユニットにこうした石鹸が沢山セットされていて、下から一つずつ取り出せるようになっていましたね。それをいいことに大量に頂いてきた子供時分を思い出させる一品(逸品?)でありました。 ところで今ってポンプ式の液体石鹸になっているんですよね?? 当時はみんなでこれを使い回ししていたのかしら?? |
化粧ポーチ う〜ん、これはすっかりGoodsの概念からはずれていました。 と言うのも現役で使用中で、あまりにも日常化していたからであります。 勿論旅行用で、出かけるときは必ずカバンに放り込んで出かけます。もう20年以上使用しているけれど、ご覧の通り良い状態をキープしています。 内部も合成皮革と思われるけど、ぜんぜん「ボロボロ化」していないし…。 黒の塩ビ?ボディにSWALとプレスされているだけのどちらかと言ったら地味な代物だけど、だからこそ飽きることもなく現役でがんばっているのでしょう。 この中にはシャンプー用ミニボトルも付いていましたが、こちらにはロゴはなく、したがって現存していません。 |
B737就航記念はがき SWAL待望のジェットフリートが登場しました。 沖縄にデリバリーされたのは1978年7月。しかしながら宮古空港の暫定ジェット化工事の遅れから10月まではJALリースされ、中途半端な塗装で主に那覇〜福岡線で仕事をしてました。 そしてついに自社路線の那覇〜宮古線に就航したのがこの年の12月でした。その時のギブアウェイとして配られたのがこのはがき。 たぶん就航が遅れた事と、翌年の石垣線でも使用する目的(私の独りよがりかも)から、就航日が表示されていませんね。 こちらは愛媛県在住の高橋さんよりご提供いただきました。その年の暮れ、新婚旅行で宮古へ行かれた時に戴いたものだそうです。ちなみに花笠デザインの宮古空港ターミナルはこの期にあわせて整備されたのですが、実際にはまだ足場などが残り、未完成状態だったそうです。 |
羽田〜宮古線搭乗証 1989年7月22日、南西航空待望の羽田乗り入れが実現しました。 那覇以外の離島と本土を結ぶ路線も“初物”でした。それまでは離島に行くにはどの交通機関でも全て那覇で乗り換えなくてはならなかったのです。 そしてこの時のキャッチフレーズが「都はいやだ。宮古に来なさい。」と「タノシイところにしか飛ばない」でした。 そんな意味でも画期的な路線だったのですが、もとはと言えばストの多い南西1社では足が確保できないという宮古の人たちのダブルトラック化の要望から端を発し、それがなぜか羽田〜宮古直行便となったのでした。 奇しくもこの日からANKが那覇〜石垣線の運航を開始し、離島での“南西一色”は崩れ去りました。 |
テレカ2 テレカは1号館で見たよ…。 でもあれはギブアウェイ、これは「スチュワーデス特製」のテレホンカードですよ。 一時期、機内でスチュワーデスさんが手に持って販売していましたねぇ。 この時代の制服(南西創立20周年目の日にあたる1987年7月1日、オレンジの2代目から変わり導入されたもの)は実はエメラルドグリーンなのですが、こうして写真にするとブルーっぽくなってしまったそうで、印刷屋泣かせの色だったそうです。 1号館で取り上げましたが、使用3機種(B3,YS,ツインオター)の写真がプリントされたテレホンカードもこの時期でしたね。 3代目制服はここを見てね。 |
美味しんぼ 突然ですが、あの「美味しんぼ」に南西航空が登場していたの、知っていましたか。 実は私も全く知りませんでした。でもこの画像を見てください。飛行機はいまいちだけど、那覇空港と停まっているタクシー(ちゃんと青いボディーだ)、それとここには無いけど石垣空港の描写はなかなか見事。 …これは1992年12月に金曜ロードショーで放映された時のキャプチャ画像。原作本だと、28巻目に長寿料理対決と題してアニメの元となった話が収録されているそうです。 那覇と石垣島が舞台で、白保の新石垣空港の反対運動まで出てくるとか…。 1992年12月と言えば翌年7月のJTAへの社名変更を目前に控えた南西航空の“終焉”期。 この時期にこうした貴重なお宝映像があったなんて、ちょっと感激であります。 情報とキャプチャ画像を提供頂いた「JA8267」さん、有難うございます。 |
スチュワーデス制服のボタン 今でこそキャビンアテンダント(CA)という言葉が一般化したけど、この当時はやっぱり「スチュワーデス」だった。 でも「ドジでノロマ」な人などいるはずもなく、地元出身の明るい人たちがとても印象的でしたね…。 当時の制服はどこの航空会社もかなり個性があって一目でどこの会社かわかったりしたけど、今は洗練されながらもみな紺色系の落ち着いたものになってしまいました。 で、ここで紹介するのが1987年7月から採用されたグリーン系統の制服に使われていたボタンであります。 このグリーンも悪くないけど、個人的にはこの一代前のオレンジ系の制服が一番好きだった… |
ネクタイピンとカフス 最近は夏場の暑さ対策でノーネクタイの会社が多いようで、会社勤めの人もカジュアルなスタイルが増えてきたようです。 でもネクタイをしても最近は自身はネクタイピンなど使わないようになったなぁ。 で、ここにあるのはなつかしい代物。実は四角いデサインのもの(SWALマークの下にBOEING737と彫り込まれている)は以前から所有していて、ネクタイピンは当時の愛用品でした。 常日頃から使用していたのですが、ある日どこかで紛失してしまい(今考えれば落とす可能性が高いのになぜ使っていたのか…と悔やまれます)、ケースと共に使用しなかったカフスだけが残ったのでした。 そして円形のデザインのものは最近オークションで手に入れたものです。沖縄在住の方が長く未使用のまま保管されていたようです。 蛇足ですが、このケースを包んでいた包装紙は白地に銀のSWALマークが描かれたもので、色あせながらも現存しています。 |
名刺 ここからはお仕事シリーズ!! 会社を訪れてはじめて行うのが名刺交換ですね。 私も何人かの方と交換しました。 今では文字が浮き出ているものや、顔写真の入ったものも多く、隔世の感がありますね。 この時代、名刺といえば縦長で文字は明朝体の活字を使用したスタイルのものが大半だったような気がします。SWALマークが色刷りなだけ“立派”とも言えます。 左のものが男性用、右が女性用でした。でも女性用も左と同じサイズのものが使用されていた時もあったようです。 |
封筒と便箋 お仕事シリーズ第2弾。 これは当然アメニティグッズではありません。 味も素っ気もない業務用のものです。(でも私にとっては素っ気はなくても味はあるんですが) いままで公開する程の派手さもないので仕舞っていたのですが、やはりGOODSではあるので"陳列"させて頂きました。 しかし時代を感じますねぇ。ありきたりの茶封筒に普通の活字で縦に社名が書かれていること。郵便番号が5けたであること… 電子メールでほとんどが事足りてしまう今日では、新鮮味すら感じてしまいます。 |
メモ帳とペンと… お仕事シリーズ第3弾!? うんうん、メモ帳とペンはわかりますが、なぜにコースターまで!? まずはメモ帳。実は長いこと机の引き出しに埋もれていました。時代的に言うと岡山線が描かれているので、1988年頃のものでしょう。 次のペンは左に回すとボールペン、右に回すとシャープペンです。で、写真では見にくいのですが、「南西航空 東京⇔宮古島線7月22日開設」と印刷されています。さらにSWALマークも。 反対側には「日本航空 東京⇔函館線7月22日開設」とあります。 ということでこれは1989年ですね。実はコレ、有楽町のJALプラザ前でキャンペーンとして配布されていたものです。 最後がコースター。これは先日応接間を掃除していたら偶然発見されたものです。ビール片手に… ということでここは出張先のビジネスホテルの一角…という設定です。 |
会社案内 毎年発行されている会社案内。 もちろんリクルート用にも使われていたのでしょう。(別に私は会社訪問したわけじゃないっス) SWALの簡単な歴史から各部門の紹介、会社組織図や年度別の旅客、貨物実績まで資料としては申し分なし。 各部門の写真など毎年更新されていて、結構楽しめる。 特に20周年にあたる1987年のものは「写真で見る南西航空20年の歩み」という写真アルバムがあって、これがもう涙物(!?…。私だけだわな。) 「スチュワーデス制服の移り変わり」というキャビンアテンダントファンを泣かせる写真もあります。 こちらはSWAL歴史館を覗いてみて…。 |
カレンダー 毎年師走になるといろんな取引先から嫌と言う程届いたりする。 でも本当に欲しいと思うきれいなカレンダーはそんなにあるわけではありません。 そんな中、今(JTA)でも毎年部屋の定位置にぶら下がっているのがこのカレンダー。 右のものは南西航空最後の年、1993年の最後の月、6月のものであります。 …今では大きな本屋などに行くと必ずカレンダーコーナーがあって、JTAものも必ず見つかります。 でもこの当時、特に沖縄以外ではこのカレンダーはなかなか手に入らなかった記憶があります。 私の場合はSWALの知り合いから送ってもらっていました。 サイズはJALの世界の美女カレンダーと同じだった。(ちなみに美女カレンダーはなぜ一部の業界であんなにまで人気があるのかよくわからない…) JTAになってから一回り小さくなっていたけど、現在ではスタイルこそ違えどこれと同じサイズになった。 |
「ガムテープ」「取扱注意」「ブランケット」「スワルプラン」は神奈川県のUさんにご提供いただきました。 「美味しんぼ」「石鹸」はJA8267さんにご提供いただきました。 「スチュワーデスのボタン」はクロスウィングさんにご提供いただきました。 「羽田〜宮古線搭乗証」と「スチュワーデス特製テレカ」は元祖柿の種さんにご提供いただきました。 「危険物ステッカー」は星南さんにご提供いただきました。 「B737就航記念はがき」は高橋さんにご提供いただきました。 「B737の油絵」はSWAL OBさんにご提供いただきました。 「タラップステッカー」は南十字星さんにご提供いただきました。 厚く御礼いたします。 |