昔のガイドブックをパラパラめくって行くと「あの道がまだ出来ていない」とか、「こんなホテル今ない・・・」などのノスタルジックな再発見を楽しむことができます。
 そうした懐かしい風景の中に何やら時代遅れ(当然当時は最新)な広告が出てたりします。
 そんな広告の中から南西航空のものを探し出してみました。
 沖縄の翼はこんなところでも活躍していたのです・・・


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1977年夏

これは正確には広告ではありません。日本航空の沖縄線機内で貰えるガイドブックにある「ご案内」のようなもの。
当時の日航ジェットプランのキャッチフレーズが「Let's kiss the Sun」でした。
B737の導入前年で、下の写真は合成想像図。この写真こそが南西の虜にさせる一枚であったのでした・・・

同時掲載広告
Victor ナマロクKD-2 機動力の3.85kg(コンポカセットデッキ)
ナショナルラジオ ペッパー012(ピンクレディー写真付)


1983年

この年のキャッチフレーズが「いま南西へ進路をとれ。」
B737も4機体制(前年石垣空港でのオーバーランにより1機減)となり、臨時便や宮古経由便以外の那覇〜石垣線はほぼB737に統一されました。
で、これは石垣島を基点に西表島や竹富島等の観光を主催している平田観光パンフレットの裏面広告。
この時期、YSの新塗装化が始まっていましたが、ツインオターはまだ旧塗装が中心でした。オレンジ&レッドといえばまだまだB737の代名詞でもありましたね。

ツアー比較
竹富島水牛車観光(3時間)…1983年→5,300円 2007年→5,800円
西表、由布、竹富島コース(7〜8時間)…1983年→14,800円 2007年→15,300円

1984年

やっぱりこの2代目の制服、いいですねぇ。デザイン的な問題よりもコーポレートカラーを強烈にアピールしているところが個性的で良いです。
これは沖縄観光コンベンションビューローの前身、沖縄観光連盟が毎年発行していたガイド小冊子。
他の広告としてはJAL(スチュワーデス)とANA(キャンペーンガール)のものがあるのみ。奇しくも沖縄に路線を持つ3社だけが掲載されているわけです。

料金比較
タクシー基本(中型1.8kmまで)…1984年→320円 2007年→460円
路線バス(那覇〜ムーンビーチ)…1984年→700円 2007年→1,090円
路線バス(那覇〜海洋博記念公園)…1984年→1,700円 2007年→2,530円
船舶航路(那覇〜石垣 2等)…1984年→5,100円 2007年→6,800円


1987年

この年はやはり南西航空にとっては重要な年。7月1日で創立20周年となりました。
前年11月、初の本格的な県外路線となる那覇〜松山線が開設され、この年2月には旧国際線ターミナルを第2ターミナルとして改修し、南西専用ターミナルも完成しています。
この日からスチュワーデスの制服が一新され、これはJTA時代の1999年まで続くことになります。
この広告は日本航空新聞で毎年夏に組まれる特集号「南西航空と沖縄航空界」でのもの。

この特集号の他の主な記事
B-737-200型機の後継機検討…機種選定委員会で低騒音機を検討→89年に737-400に決定
宮古〜東京直行便、開設熱高まる→89年7月開設
「もう待てない石垣新空港」…地元団体、即時着工を要請→当時は反対一色でしたね
沖縄海邦国体に向け、来沖客増加の見通し


1989年

この年は何といっても初の羽田乗り入れ、そして初の那覇以外からの本土路線でもある羽田〜宮古直行便の開設があります。
沖縄の離島に行く場合、それが飛行機であれ、船であれ、いままでは全て那覇を経由し乗り換えなくては行けなかったことを考えると、大きな意味のある路線です。
紆余曲折を経ての開設でしたが、同時に南西以外の航空会社(ANK)が県内路線(那覇〜石垣線)に参入してきました。いろいろな意味でいままでの沖縄航空界の概念を変えることになる年であったようにも思います。
この広告は「月刊エアライン」より歴史を持つ「月刊翼」臨時増刊「日本のエアラインダイレクトリー'89'〜90」に掲載されていました。

この臨時増刊号の主な記事
日本のエアライン 40年の歩み DC-3からダッシュ400へ
日本のエアライン全12社最新企業データ…これしかなかったのですね
日本の定期便乗り入れ全68空港完全データ…こちらも少ない!
空の職場と就職ガイド→南西は他府県出身者でも那覇在住可能者は採用


1990年

この年からいよいよB767の運航が始まりました。といっても日本航空からのウェットリースで、塗装はJALのまま。小さなSWALのステッカーを貼って翌年も夏休み期間中のみ羽田〜宮古、那覇〜宮古線で 活躍しました。そして翌1992年には待望のフルカラー機が登場するわけです。
B737のスリムラインシートはそれまでなかったオーディオサービス開始にも結びついています。
日本航空新聞の特集号「南西航空と沖縄航空界」より。

この特集号の他の主な記事
「YS後継機は未知数」…対談でサーブの名も出ていたようです
「初のB737自社オーバーホール実施」
「石垣空港ANK用ターミナルビル完成」


1993年

おそらくこれは南西航空としての最後の広告の一つでしょう。
イカロス出版の「航空旅行ハンドブック 国内線版」でのもので、発行がおそらく6月であったと思われます。
「なつかしの時刻表」でも述べたとおり、個人的には“南西最強時代”とも言える路線網ですね。
このスチュワーデスさんのスカートの色は写真ではブルーに見えますが、実はエメラルドグリーンです。
ちなみに破線で描かれている羽田〜石垣線はJTAとなってすぐの7月21日に開設されています。

旅客数比較
石垣空港…1993年→1,107,711人 2005年→1,893,921人
宮古空港…1993年→850,635人   2005年→1,119,845人
与那国空港…1993年→63,782人 2005年→78,564人
南大東空港…1993年→18,030人 2005年→35,736人

輸送実績
那覇〜石垣…1992年→899,295人 2006年度→1,313,650人(ANK含む)
那覇〜宮古…1992年→506,529人 2006年度→769,749人(1992年はANK含まず)
石垣〜与那国…1992年→57,063人 2006年度→70,520人


以下続刊予定…

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