番外コラム
慶良間、小値賀、上五島を廻る
〜2006/3/31で定期便のなくなる空港を訪ねて〜

プロローグ

 またまたである。
 またまた地方航空路線が廃止になってしまう。
 沖縄の慶良間空港、それに長崎の上五島空港、小値賀空港の3空港が2006年の3月末で定期便の就航を終える。
 慶良間は那覇間に1日1便、上五島、小値賀は長崎間にそれぞれ1日2便が就航しているが、いずれも採算性が悪く、公費で赤字を補填している利用率の低い路線である。
 ちょうど3年前、北海道の礼文空港がやはりそうであったように、この路線廃止によりこれら3空港ではエアラインの就航がなくなってしまう。

 いずれの空港にもまだ一度も乗り入れていない私にとっては“心残り”とならぬよう、1泊2日の強行軍で3空港を回る事にしたのだが…

初の慶良間

 去年のちょうど同じ日、那覇は寒かった。冷たい雨模様で気温も10度そこそこ。春先のこの時期では異常な寒さ。でも今年は平年並みで天気が良くて風も弱く、上々の飛行日和である。
 小型機は天気も然ることながら風、とりわけ横風にはからきし弱い。でも今日はまったくその心配もなさそうだ。
 乗り継ぎカウンターでチケットを受け取り、28番ゲートでRAC特有の横長(切り離して残る部分)搭乗券に引き換える。
 定刻11時35分の5分前にランプバスに乗り込みシップサイドへと移動。今日は私を含めて5名の乗客のようだ。搭乗率56% !! 4Aの私は左後方、それより若い番号の人は右前方のドアより搭乗するとすぐにドアクローズ、エンジンスタートとなる。
 パイロットは後ろを振り向いて挨拶とシートベルトの確認を行なう。これがアイランダーの“儀式”でもある。
 北東からの微風に乗る為滑走路南方へ向かうが、800mで事足りるアイランダーに3000m滑走路は長すぎる。ほどなく滑走路に進入するとすぐにエアボーン。左へ90度旋回して慶良間を目指す。
 1000フィートで水平飛行に入り砂浜だけの島、クエフ島やナガンヌ島を右手に見て渡嘉敷、座間味の間をすり抜け外地島東側でダウンウイングレグに入る。
 そして滑走路南端02よりアプローチ。コバルト色の珊瑚の海に映し出される自機の影が次第に大きくなる。
 標高47.5mの島南端からいきなり現れる滑走路にタッチダウンするとゆるやかにブレーキがかかる。
 そのまま前方に進みスポットイン。定刻どおりのちょうど20分のフライトであった。

 慶良間空港の歴史は昭和57年の公共施設地図航空が設置した慶良間飛行場(非公共用)がその前身である。
 翌58年より同社がアイランダーにより路線を開設したが、61年に倒産。62年琉球エアコミューターが路線を引き継ぐ形で運行を再開した。
 その後平成4年から沖縄県が設置管理者となり第三種空港に指定され、一時期は日8便も運行したりツインオターが乗り入れていた時期もあったが、高速船の就航や料金の割高感等から次第に利用者が減少して行き、ついにこの日を迎えてしまったわけである。

 ターミナルビルは平成6年に建てられたもので、比較的新しく立派な外観を持つ。
 華やかなりし頃は多くの観光客、ダイバーで賑わっていたはずだが、今では不釣合いに大きなターミナルではある。
 開港当時はこの外間島から慶留間、阿嘉への橋がなく、「マリンバス」が各島を結んでいたが、こうした不便さから生活路線として定着出来なかった事や、観光路線として夏場と冬場の季節波動が大きかった事も廃れた原因のひとつであろう。
 入り口のガラス扉に路線廃止を伝える一枚の簡単な張り紙があった。ここでは周知の事実だから改めて案内の必要も無いのだろう。
 そして折返し便が出発すると、何事も無かったように風の音と鳥の鳴き声だけがこだまし、沖でくじらがブローする静かな外間島に戻っていた。
 今後はエアドルフィンのチャーター便がこの空港の“主”として活躍するらしいので、まだまだ元気に活躍してもらいたい。

慶良間から五島へ

 阿嘉島まで徒歩で渡りぶらぶらした後、15時30分のフェリーで那覇へ戻る。
 そして18時40分発のJAL便で福岡へと向い、深夜発のフェリー「太古」で五島列島、小値賀島に到着したのが翌朝5時。まだ真っ暗な港の待合室には仮眠室があり、明るくなるまで一眠り。
 港から小値賀空港までは約5kmの道のりだが、接続する公共交通は無くいつものように徒歩で向かう…。

 朝、人々がやっと動き出したばかりの長閑な海沿いの道を45分程進むと、やがて茶色い筒のようなターミナルが見えてきた。
 何の喧騒もない駐車場を通り建物に入ると、無人の待合室とこじんまりと配置されたカウンターの向こうに滑走路が見渡せた。
 オリエンタルエアに予約をしたのは3日前だが、発券は当日空港でという事だったのでカウンターでチケットを購入すると、荷物検査をするという。
 しかしこれがまた実に丹念。ハンドタイプの金属探知機で荷物を全て検査し、中身も全て出してやっと御放免。アイランダーを乗っ取っても外国まで逃亡できないと思うが…(あるいは韓国ぐらいなら?)
 南西からの風かやや強くなってきている。しかし手続きは終わっており、あとは到着を待つばかりである。
 やがて北東方向より低空で近づく機影を確認。真正面からの向い風に乗り着地するとあっと言う間に減速し、180度転回してスポットイン。
 乗客は3名のようだが、折返し9時5分発の便はどうやら私1人のようだ。そうならこれが初めての貸切フライトだ。
 9時を過ぎたあたりで「どうぞ」と言うことになり、女性職員がやや重たい扉を開いてシップサイドへ案内してくれる。
 乗客は私1人の為か、搭乗券には座席番号が記入されていないし、する様子も無かった。
 でも1人のときは前方と決まっているが如く、右前方のドアに招かれ1Bに着席した。
 アイランダーの始動は実に早い。車とまったく同じ感覚でエンジンをスタートさせ、ブレーキを外すとすぐに動き出す。
 昨日同様パイロットに挨拶をされたので、今日は乗り継いで上五島まで行く旨話すと、その便も私が担当ですが風か強いから多少揺れるかもとの事。
 滑走路21エンドで反転してエアボーン。大きく右旋回して再度空港上空をかすめ、長崎VORを目指す。
 高度3500フィート、120〜140ノットで水平飛行。途中「無線聞きますか」といってスピーカーから流してくれる。
 やがて前方に逆行で煌めく長崎空港が見え始めると、次第に高度が下がり始める。なにかするするという感じでアプローチコースに近付く。
 勿論到着機は他にいないが、パイロットは左方向を何度も目視で確認する。
 そして長い長い滑走路にやや高めから進入し、ゆっくりタッチダウン。またよろしくお願いしますと挨拶をしてターミナルへと向かった。

天候調査

 地上係員に「上五島にお乗り継ぎですね」とやや怪訝な顔をされつつもチェックインカウンターへ。
 しかしここであのイヤな言葉を聞くことになる。
 「上五島行きは強風の為天候調査中で、10時までお待ち下さい」
 離島空港では4番目の就航率の低さ(83.5%程)となっている上五島空港は頭ヶ島の上部を切り開いて作った空港で、風は吹きっ曝しの感がある。
 でも過去の強運を信じ待っていると、期待とは裏腹に欠航のアナウンスが…。
 やむを得ず午後の便に期待を賭け、とんぼ返りの往復便に予約を変更してもらった。
 時間が空くので、長崎市内でシーボルト記念館などを見学して15時前に空港に戻った…

 出発案内ボードを見上げると相変わらず「天候調査中」となっている。天気も徐々に悪くなって来ているようだしこれは厳しいのか…? 実は今回の旅で一番行きたかったのが上五島空港なのである…。
 だが暫くすると「(引き返す)条件着き就航」となり、とにかく出発は可能となった。ここからは強運だよりである。
 いままでで一番多い6名(うち1名は幼児)の乗客がアイランダーに乗り込む。私の席はまた1Bでパイロットも同じ人だった。
 軽く挨拶をかわすのももどかしく、エンジンスタート。そしてランウエイ14のほぼ中央あたりから南向きにエアボーン。
 右旋回して高度を上げる。西彼杵半島を越えたあたのり雲高が低いせいか、巡航高度は3000フィート。
 低い雲を避けるように西に向かう。午前中より視界はだいぶ落ちているようだ。だが途中の気流はかえって安定しているようにも思える。
 そして空港北側からベースレグに入り、滑走路に正対してアプローチ。南からのかなり強い風に機体があおられ右に流される。
 進入角度も一定しないが、ここはパイロットの腕を信じるしかない。でも当たり前のように、いつもと同じようにコントロールしているようだ。
 そしてパワーを絞って高度を下げ見事にタッチダウン。こうして目的の3空港に全て乗り入れることが出来た。

強風の上五島

 機を降りるとやはりかなりの突風が吹いていた。ターミナルの窓は唸り、ドアがバタバタと音を立てている。
 以前ここは海面より山腹を吹き上げる風で滑走路上で大きな乱気流が発生し、もっと“ハード”な空港だったらしい。だからこのくらいの風は気にはならないのだろうか…
 「午前中はもっと風が強くリミットオーバーで欠航になった」と教えてくれたパイロットはしかし、事務所内でのんびりと雑誌など読んでリラックスしている。
 すぐに戻りの便の券を購入、チェックインを行い、建物の写真をあわてて取りまくる。
 はるか先には頭ヶ島大橋の赤いアーチが見えるが、今回はあそこまでも行けない。空港内で20分を過ごしたら直ぐに戻らなくてはならない。
 ここでは荷物検査は通常の離島空港のそれと同様簡単に終わり、4名の乗客がアイランダーに乗り込む。
 席はまたしても1Bで、前と同じようにあっけなくスポットを離れる。しかしここからが凄かった。
 滑走路17のエンドよりさらに端にスタンディングした機は、心の準備をするかのごとく一呼吸を置きパワーを全開にした。
 地面を蹴って上昇に移った途端、くぐっと右に大きく流され、上下左右に大きくピッチ、ロールする。パイロットも必死に操縦桿でコントロールをかけている。
 ターミナルビルを上空から撮影するも機体の動揺で大きくぶれてしまう。つきなみだがもてあそばれる木葉のよう。
 それでもハードな状態は長くは続かず、機を安定させると左に旋回し3500フィートで水平飛行に。
 そのあとは順調に飛行し、定刻より5分早く長崎空港に戻ってきた。

 この上五島往復は今までの中で、一番緊張感のあるフライトであったことは間違いない。そして同時に充足感も与えてくれた。
 18時35分発のJAL便で東京へ帰るのだが、機材故障によるシップチェンジで2時間遅れ。羽田着は22時を過ぎてしまったが内容の濃い、納得の2日間であった。


3/4羽田 08:05那覇 10:50ANA121
 那覇 11:35慶良間 11:55RAC707
 阿嘉 15:30那覇 17:00フェリー座間味
 那覇 18:40福岡 20:15JAL3612
3/5博多 00:01小値賀 04:50フェリー太古
 小値賀 09:05長崎 09:40ORC22
 長崎 10:25上五島 11:00ORC83
 長崎 15:35上五島 16:10ORC87
 上五島 16:30長崎 17:05ORC88
 長崎 18:35羽田 20:05JAL1852

写真…PENTAX *istDL で撮影。

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