1987年2月11日。冬の晴れ間がのぞく石垣空港から、いつもとは少し雰囲気の違った最終便が飛んだ。
その便は与那国行き最終便の709便。
与那国空港は明日から1500m滑走路がオープンしてYS−11が就航するため、13年間活躍したDHC−6ツインオターは今日のこの便を限りにお役御免となる。
その最終フライトは予定通りチェックイン開始のアナウンスが流れたが…。

この忘れがたいラストフライトのドキュメントをサウンドと共にお届けします。12分弱のサウンドファイルです。


出発予定時刻は16時05分だが

冬にしては珍しい穏やかな日であった。早々にチェックインを済ませ、ロビーのベンチに腰掛けて出発案内ボードを見ると、今日は709便の25分前に臨時便が飛ぶようである。
天気も上々だし、チェックイン時に特別な案内もなかったので安心して待っていると、予期せぬ事態が起こった。
臨時便の搭乗時刻が近づいたので、ボードの表示が「間もなくご案内」になるはずであった。
ところが「天候調査中」になって、出発が遅れることになったのだ。与那国上空の風が強いとの報告であった。


臨時便は欠航に

間もなく709便も「天候調査中」になり、心の中に暗雲が立ちこめ始めた。
与那国は風が強い、西表上空は気流が悪い、ツインオターは横風に弱い…等々はよくわかっているつもりだが、石垣の穏やかな天気を見ているととても信じられない。
今までの「ツインオター欠航なし」の強運もここまでか…。
30分ごとにアナウンスがあるが、状況は好転しない。そして1時間半待たされた後に臨時便の欠航が決まった。間もなくこの709便の欠航も決まるだろう。


最終便は出発決定
半ば諦めかけていた時、突然搭乗開始を告げるアナウンスが流れた。天候は回復していないが、とりあえず与那国上空まで行くとのこと。
待った甲斐があったわけだ。この便に乗るために強行スケジュールでここまでやって来たのに、欠航では泣くに泣けない。正直ほっとした。
最悪は引き返す旨の説明を聞くのももどかしく、我々は急ぎゲートを出て西日の当たる709便「ばし」に乗り込んだ。
機長さんの意地と私の強運がこの便の運行を決定したのか、とにかくツインオター最終便は与那国へ向けて出発する事になった。


順調に西へ向けて飛行

17時46分に離陸した709便は何事もなかったように竹富島、小浜島、西表島の上空通過し、与那国に向けて順調に飛行を続けている。
途中機長のラストフライトの挨拶があり、やがて与那国の島影が見え始め最終着陸態勢に入っていった。 やはり風が強いのか機体がローリングする。そして祖内の町を通過する頃、突然エンジンのパワーが上がり、機体が上昇をはじめた。


ゴーアラウンドそして着陸

横風が規定の6mを1.5m越えているのでしばらく様子を見るらしい。ここまで来たけどやはり着陸は無理か。
島影が左に消え、右側に移り、そして再び左側に現れた。その時、「今から着陸します」のアナウンス。
機長さんとしても最終便だけに、なんとしてでも着陸させたいのであろう。
風上に機首を振り、南風に流されながら除々に高度を下げる。そして小刻みに揺れながらも、いつものように軽快な接地音と共に無事着陸。長くて短いフライトはこうして終了した。


感動的なローパス

大役を果たした「ばし」は、明日よりオープンする新ターミナルビル前のスポットに駐機した。1時間半待たされた久部良中学校の生徒達が「DHC6型機長い間の就航ご苦労様でした」の横断幕を持ち、最終便を出迎えた。
クルーへの花束贈呈のセレモニーが終わり、折り返し便は西に向けて離陸していった。もう明日からは与那国にはツインオターはやってこない。
しかし次の瞬間、いつもなら大きく右に旋回して海上で高度を上げ遠ざかっていくはずの機体が、このラストフライトを惜しむかのように滑走路上を反対側から低空で進入(ローパス)し、 我々のすぐ横をエンジン音を響かせて通り過ぎ、東の空へと消えていった。



DHC−6−300 ツインオター JA8796 「ばし」
1987年2月11日 石垣〜与那国線 最終便 709便
機長 井上 博氏、 副操縦士 石川 栄増氏、 保安要員 保里 友子さん。




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