DHC−6−300
Cockpit Report
NU Flight 701
鍛治 壮一 著
(航空評論家。元毎日新聞編集委員)
フライトプラン。NU701、飛行方式 I
石垣港の午前8時。快晴とまではいかないが、南国の海はもうまぶしい。宿舎の石垣グランドホテルの玄関に出たパイロット2人。港側のアパートの2階から若い男が駆け降り、「お早うございます」とキャプテンにあいさつをする。空港の航空局職員も出勤だ。
迎えのライトバンに乗り込む。南西航空機長、原田英夫、39歳。昭和32年航空学生8期として航空自衛隊へ入隊。築城、芦屋、浜松基地でジェット機T33やT1の教官をやってきた。47年、1等空尉でやめ北海道航空に2年間勤務、49年5月、南西航空入社。飛行時間4500時間、うち3000時間はジェット機だ。副操縦士、市田義美、23歳。51年3月に宮崎の航空大学20回生として卒業、ただちに南西航空に入社。
制帽に半袖シャツ。「12月までは、これでいいな」と原田キャプテン。街を抜けパイン畑の中の舗装道路を行くと、15分たらずで石垣空港のターミナルビル。待合室は、のんびりとベンチに座っている乗客10数人。土産物売場やレストランは若い女性がカーテンをあけ、ガラスを拭いたり店開きの準備に忙しい。
南西航空のカウンターを大またに横切って運行管理室をのぞく。「お早ようございます。キャプテン」「天気はいいな」「いま、与那国は雨が降ってますが、すぐやむでしょう」軽いあいさつを交わして、ターミナルビル2階の更衣室へ。更衣室といっても、出発前のブリーフィングや、キャプテン、スチュワーデスの休憩の場所でもある。市田副操縦士が、パタン、パタンと滑走路に面したガラス窓を開けていく。新鮮な朝の風が入ってきて、さして広くない部屋が、たちまちいっぱいになる。
まだブリーフィングまで、少し間がある。市田は下へ降り、本日のレストランの客第1号になった。「ハムエッグ・サラダとアイスコーヒー下さい」「いつものやつね」と女の子がニッコリ。どこへ行っても、パイロットはかっこいい。
手早く朝食をすませ、運行管理室に戻ると原田キャプテンが、天候やノータムのチェックにとりかかっている。午前8時30分の与那国空港からの報告だ。なにせ、小さな離島の空港だから、与那国役場の職員、旅行代理店の駐在員、気象庁測候所の職員が、その時の状況によって交互に連絡してくるのだ。フライト・プランとウエイト・アンド・バランスの書類を点検して、キャプテンはサインする仕事がある。
『FLIGHT PLAN。NU(南西航空)701便。飛行方式 I(IFR=計器飛行方式)。飛行機DH6(デハビランド・カナダDHC6ツインオッター)。出発地ROIG(石垣)出発予定時刻0200(グリニッジ標準時、日本時間午前9時20分)。RCTP(台湾飛行情報区通過時刻)0025(午前9時25分)。速度0150(ノット)高度060(6000フィート)。ルート与那国。到着予定0045(午前9時45分)。燃料0326(3時間26分間の燃料)。機体登録番号JA8802。』
原田キャプテンはフライトプランの最後にサインする。
ウエイト・アンド・バランスは、燃料、乗客の座る位置まで細かく記入されている。
乗客19人。満席だ。客室は1列3人掛けで7列ある。1〜5列までは435ポント゜づつ。6列目はドアがあって2人だから290ポンド。前部荷物室に200ポンド……ペイロードは合計3255ポンド。次は燃料、離陸用に1585ポンド、巡航中に240ポンド……従って着陸するときの総重量は12240ポンドとなる。これら数字は右側の図表に組込まれ、機体の性能にマッチした範囲に正しく搭載されているかどうか、一目で確認できるようになっている。さっと目を通して、これにもサイン。
ブリーフィング開始
8時40分、スチュワーデスの富川恵子が顔を出す。「お早ようございます」オレンジ色のスラックスが、はなやかだ。スチュワーデスにはちがいないが、ほんとうは保安要員なのだ。乗客が、シートベルトを閉め忘れたり、万一、空中でドアを開けたり危険な操作をしないようにする役目がある。乗客を案内したり、機内放送はやるが、原則としてサービスはしなくてもいいわけだ。彼女のインスタント・コーヒーで一服していると、空港中にサイレンが鳴り渡る。間もなく、今朝最初の定期便、那覇からYS−11機601便がやってくる。
YS−11特有のキーンとカン高いエンジンを響かせながら到着、乗客に続いて高良速美キャプテンが足早に降りてきた。彼は地元沖縄出身で、南西航空が養成したキャプテンの第一号だ。那覇から午前3時の気象資料を持ってきたのだ。地上天気図だけでなく、高層天気図、悪天候予想図、さらにYS−11が石垣へ来る途中に機上レーダーで観測した結果など。
「ご苦労さま」と、あいさつしながら天候の分析にかかる。「高気圧が帯状にのびている。その南のへりに当たっているから、少し雲が出ますね。与那国はCB(積乱雲)系の雲です。ここら辺に、帯状にレーダー・エコーがありました」
原田キャプテンは、DHC6の平面図がかかれているボードの前に市田副操縦士、富川スチュワーデスを集めてブリーフィングを始める。市田が、天候のまとめと、飛行予定を富川にいいきかすように復唱している。「エマージェンシー(非常事態発生)時の措置」といわれ、富川が、ボードの上に赤い消火器、黄色い酸素マスクのマークを置いていく。終わってから原田キャプテンが、あらためて注意する。「うちの飛行機をハイジャックするような者はいないと思うが、なにか変わったことがあったら、早くぼくたちに知らせてくれ。子供が乗ったら、よくベルトを締めるように気をつけて下さいね。ガタガタしたとき、子供はあわてて、どこかぶつけたりするから。与那国はもう雨もあがっただろう。」
9時10分。
701、ボーディング、オッケー
9時5分すぎ。「さあ、行きましょうか」3人は小型のカバンを持って空港に降りる。さっき着いたYS−11「あだん号」の前に、両翼をいく分上にピーンと長く張ったDHC6−300型ツインオッターが銀色に陽を浴びている。みているだけで楽しそうなSTOL機だ。
主翼に支柱をつけた半片持ち式高翼機。固定脚で、みるからに頑丈、信頼性のあるSTOL機。乗員2人、乗客20人(うちスチュワーデス1人)。重量に比較してエンジンのパワーが大きく、出力652ehpのターボプロップ・エンジンが2基。離陸上昇中は、正規の速度で上昇すると早すぎる感じで、むしろ頭を押さえてやる。エンジンが1発停止しても、毎分500フィートの割で上昇可能だ。同じ条件のYS−11の約2倍の上昇率といえる。またSTOL機はその急上昇性能で地上に影響する騒音も少なくできる。
主翼の陰にカバンを置いた原田、市田両パイロットは、DHC6の外部を点検する。整備員は朝早くから念入りに点検しているが、なお、パイロットはポイントを調べる。車輪をたたいてみる。タイヤの空気圧は?キズはないか?プレーキは?ライニングの厚さは正常か?機体の下にかがむようにして胴体や主翼の裏も眺める。ビスが抜けていることがあるかも知れない。原田キャプテンは、自衛隊のジェット練習機T33で、後ろから胴体に首をつっこんで、ブレードのき裂を発見したこともある。市田は燃料キャップがきちんと閉まっているか見る。
ニックネーム「あじさし」と書かれた前のドアから機内に入る。あじさしはツバメのようなスタイルをしたカモメ科の渡り鳥。海に急降下して魚をとる。
9時10分、操縦室内をチェックして市田がマイクをとる。「701、コーパイ(副操縦士)、ボーディング・オッケー(搭乗開始して下さい)」
ラジャー、南西701、スタンバイ
クリアランス。
「南西701、リクエスト クリアランス ツゥ ヨナグニ ETD0200、プロポーズィング6000、アンド 南西702 ETDヨナグニ0115、プロポーズィング5000」(南西航空701便は9時20分出発予定で与那国へ飛行許可されたい、高度は6000フィート。戻り702便は与那国10時15分出発、高度5000フィートを予定)と石垣のタワーに連絡する。
「ラジャー、南西701、スタンバイ、クリアランス。サーフェイス ウィンド070 12、テンパラチュア26、アルチィメーター3000」といってくる。石垣の地上風は70度(南々東)から12ノット。気温26度、高度計は3000。2人のパイロットは、計器板中央の気圧高度計を修正する。
乗客が乗り込んでくる。富川スチュワーデスが客室のドアを閉めてから前へ報告にきた。
「パッセンジャー・アダルト19名、インファントなしです」(乗客は大人19人、幼児なし)
9時15分、さっきのYS−11が那覇に向けて離陸して行く。
「サーキット・ブレーカー」−「オン」
「イグニッション・スイッチ」−「ノーマル」
「コーションライト」−「テスト」
原田キャプテンと市田がエンジンスタート前のチェックリストを早口で読み交わす。
後部客室では富川スチュワーデスの機内放送。「本日も南西航空にご搭乗下さいましてありがとうございます。本日の機長は原田、お伴します乗務員は私、富川でございます。……なお離陸後27分で与那国到着の予定でございます」
9時17分。
エンジンスタート。
9時17分。エンジンスタート。頭上のスイッチをNo.2エンジンから入れる。“ブルン”“ブルンン”。ジェット音を聞きつけた耳には、なぜかなつかしい親しみのあるエンジンの音。同じジェットプロップでも、カン高いYS−11のロールスロイスエンジンの音とは違う。燃料計がアップを示す。温度計の針が上ってくる。フラップ(下げ翼)は10度にする。
タキシー(地上滑走)前の点検だ。市田が読み上げる。
「エンジン・インストルメント」−「チェックド」
「フラップ」−「セット10デグリー」
「ハイドロプレス(油圧)」−「ノーマル」
「トランスポンダー(応答器)」−「テステッド」
………秒を追って、忙しくなる操縦室で、きめられた手順が節目をつけながらも、スムースに進行していく。さっき要求した与那国へのクリアランスが那覇の管制部から許可された。
「イシガキ・レジオ、南西701 タキシー」
石垣のタワーは正式な管制官でなく管制通信官だから、クリアランスは出せない。「クリアー ツウ タキシー」でなくただの「タキシー」といってくるのだ。
滑走路は04、南から北へ向って離陸だ。9時19分、タキシー開始、グンと、わずかに背を押しつけられる心地でDHC6は動き出した。また、タキシー中のチェック・リストを市田副操縦士がコールする。……
「フュエル(燃料)システム」−「チェックド」
「T/O(離陸)データー」−「リチェックド」
航空機関士の仕事も兼ねる市田が、原田キャプテンの前の計器板に、すでにT/Oデーターを張りつけている。『TRQ(トルク)T/O 49.5、CLM(上昇)46…。V1 75(ノット)V2 79……』
DHC6機は滑走路の手前で一度停止。エンジンとプロペラを、最終的に点検する。フェザー。プロペラのピッチを最大にし、もし、エンジンが1つ停止したとき、プロペラの空気抵抗をできるだけ小さくしてやるテストだ。原田キャプテンはブレーキを踏み、頭上のプロペラスイッチを手前に引く。機体は武者ぶるいをして、小きざみにゆれる。プロペラのピッチを逆にして、空気ブレーキの作用をさせるリバースもチェックする。
9時24分。
南西701 レディ ホー ティクオフ
ブレーキを放し、再びツインオッターは動き出す。左にまわり込みながら、04滑走路の中心線に機首を正対させる。ごく短い時間だが、もう1回、離陸直前のチェック。市田副操縦士の声が、高くなるエンジン音の中で叫ぶように聞える。
「プロップ!!」−「フル・インクリーズ!!」
「フライト・コントロール!!」−「チェッド、フリー!!」
……右手で頭上スロットル・レバー、左手に操縦カンを握る原田キャプテンの怒鳴り返すような確認の声。4つの目が、エンジン計器、外界とクロスチェック。小さな操縦室に、みなぎる気力。右窓数百メートルのサンゴ礁の海のおだやかさと対照的。
「南西701 レディ ホー ティクオフ」市田の声にタワーの「ランウェイ イズ クリアー」−9時24分。
「よし、いこう」
原田は頭上のスロットル・レバーを前へ倒す。パワー85%。ブレーキをはなす。と同時にフルパワーへ。機は、はじき出されるように加速、原田のスロットル・レバーの右手の上に、市田の左手がカバーする。みるみるスピードがます。40ノット……。
いまは、キャプテンの両手は操縦カンを。
“V1(ブイワン)!!”−速度計が75ノットを示すとき、市田副操縦士が叫び、原田キャプテンが操縦カンを手前に引く。フワリと、鋭い反応でDHC6機は地上を離れ空中へ。フルパワーから14秒、地上滑走は、わずか400メートル。
“V2!!”−79ノットだ。
高度200フィート。“フラップ・アップ!!”窓の下、滑走路左側の緑の芝も、あるいはアダンの林もツインオッターの影が投影される。が、それは、ほとんどアッというまに小さくなった。右側の昇降計の針は毎秒1000フィートの上昇率を示している。
高度400フィート。フルパワーから上昇パワーに下げる。このままでは急上昇しすぎてしまう。トルクを示す一番上のエンジン計器が最大の50から40ポンドになる。もう禁煙サインは消えている。スピードは110ノット。
右に旋回上昇しながら、いた出た滑走路の南西端にある石垣NDB(無指向性航空標識)上空に向かう。まばゆいばかりの海。上からでは緑一色にしか見えない石垣島をめぐる澄きとおるようなブルーの海の色。そのブルーが太陽の光をどこまでも通すものだから、青く燃えるよう。沖まで広がるさんご礁の浅い海が終わるところに白い波が立って、深い深い外洋となる。
NDBを1500フィートでヒットして、279度、ほぼ真西のコースに乗る。
台北飛行情報区に入る
「ただいま左下に竹富島がみえています」9時28分。富川スチュワーデスが説明する。円くて、中心に赤瓦の屋根がかたまっていて白く放射状に広がる数本の道。青い海に白砂でフチどられたような竹富島。空中からのぞめば、まさにオモチャのようで、可愛らしい。観光案内で見た竹富島は、こんな空から見下したイメージの方が近いのではないか。ここいらで那覇の飛行情報区の境界線を越し、台北の飛行情報区に移ったはずだ。
直線で上昇を続け9時31分。小浜島上空通過。島とツインオッター機の間に薄い雲が入りこみ、急速に後方へ流れて行く。
高度6000フィート。巡航高度に達した。市田副操縦士が石垣にレポートする。「南西701、リーチング6000」下は西表島。沖縄本島に次ぐ大きさ。いままでの小島と違い、みるからに深々とした緑のジャングル。そこへ、明るい水色の入江がいくつも切り込み、まさに秘境というべきだ。
標高470メートル、古見山の真上を通過する。さきほど台北の飛行情報区に入っているから、実際は日本を離れ、台湾が管制を分担している空域なのだ。もちろん、石垣で与那国行きのフライト・プランを提出したとき、那覇→東京→台北と連絡はいっている。ついでに触れれば、ADIZ、防空識別圏というのもある。その空域に飛行機が入ったら、敵か味方かを識別し、不明機に対してはスクランブルをするための分担ごとにわけた空域だ。ところが日本のADIZの最西端のラインは与那国島を東西に走っている。その西は台湾の防空識別圏なのだ。つまり与那国の空港はADIZより、わずか西側だから、台湾のADIZに中に入ってしまう。定期便の運行で直接、重大な制約はないが、一歩まちがえるとやっかいな問題である。
9時43分。
与那国30浬手前、降下準備用意
海に突然、つき出したような西表島の山だから、ここだけは雲が厚い。気象レーダーが雲のさけ目を捜している。といって、計器飛行方式だから、やたらと進路を変えるわけにいかない。ATC(航空交通管制)に連絡して別の高度を選ぼうにも、台北飛行情報区だから、例によって石垣→那覇→東京→台北、さらにまた逆のコースで了解を求めなければならない。まあ、きょうは軽い雲だから、その面倒はない。
「少し右にバンクして避けよう」と原田キャプテン。ツインオッター機は右に浅く旋回して雲のカタマリを避けてまわりこむ。
市田副操縦士がタバコに火をつけた。短い飛行中に、ほっと一息つくときだ。現在のスピードは135ノットから140ノット。
DME(距離測定装置)が100浬になった。電波による測定だが、基点は石垣島の隣りの宮古島になっている。石垣−宮古間が67浬だから、100マイナス67→33、つまり石垣から約33浬飛行したわけだ。
与那国島が見えてきた。東シナ海にポッカリ浮き上った、とよくいわれるが、まさにその通り。西表島から与那国島まで、右も左もまったく島がないから、この表現がピッタリだ。
「南西ヨナグニ カンパニー、南西701 着予定10時15分」与那国空港の南西航空に到着時刻を連絡し、空港の様子を問い合せる。
9時43分、気象レーダーとDMEで、与那国の30浬手前に達したことを知らせる。
「そろそろ降下だ」速度計は150ノット。
雨が振り出した。操縦室のウインドウには下から水がチョロチョロと流れるように、いくスジも上がってくる。たいした雨ではない。ものの2分もしないうちに雨域を通過した。
下からいってきた与那国の天気は「020 13(20度つまり北々東から13ノットの風)視程25キロ シーリング(雲の高さ)2000フィート CB(積乱雲)が空港の北から北西にかけて 気温26度 気圧高度計のセット2998」
与那国の滑走路は海岸の高台に、ほぼ東西に走っているから、きょうは北から13ノットの横風になる。
「地上風が020の13だからランウェイは08(西側から進入)で行こう。高度800フィートでサークリングして、フラップは10度に、ベース・ターンの前に20度にする。スレッシュホールド(滑走路の端)でスピードは91ノット。タッチダウンのあとのエルロン(補助翼)はキープ・レフト(左に保持)だ」原田キャプテンが、市田副操縦士に指示する。
少しづつ高度が低くなると、忘れていた海上の白い波が、また目に入る。快晴なら台湾も臨めるのだが。
9時47分、高度2000フィート。
アプローチ(着陸のための進入)のチェックにかかる。
「フュエル・システム」−「チェックド」
「アルティメーター」−「セット、クロスチェック」
再び、というより、飛行で、もっとも緊張する数分がやってこようとする。
シート・ベルト、オン。
レーダー、スタンバイ
与那国の滑走路は800メートル。日本復帰前は1200メートルで、より大型のYS−11機が離着陸していたが、運輸省の管理に入るとき、800メートルと規定された。それは滑走路の東の延長上に製糖工場の煙突が高く立ち、航空法上1200メートル滑走路として認められないからだ。主翼面積の大きいSTOL機だけに、横風には比較的弱い。それだけ着陸のテクニックも必要だ。
9時49分、与那国の東端にある白い灯台がまず見える。「南西ヨナグニ、南西701着陸5分前」と市田がマイクを握る。まもなく与那国NDBだろう。そこを高度1200フィートにもっていく。町に入っていくように進むと前方に滑走路だ。そこだけ、はっきり白くのびている。その右側は断崖絶壁。右へ絶壁の北側の海上を800フィートで水平飛行する。左のキャプテン席から白い滑走路を見ながらサークリンクだ。与那国富士と島の人のたたえる宇良部岳標高231メートルをはさんで、両側に海がある。南海の孤島という印象が強烈だ。
原田キャプテンがエンジンをしぼり、一段と音が低くなる。「禁煙」のサインを押す。着陸前のチェックリストだ。
「シートベルト!!」−「オン!!」
「ノーズステア(前車輪)!!」−「センター!!」
「ブレーキ!!」−「オフ!!」
「フラップ!!」−「20度!!」
「プロップ!!」−「フル・インクリーズ!!」
「レーダー!!」−「スタンバイ!!」
いまや操縦室は戦場のようなめまぐるしさ。その中で2人のパイロットが、規則どおり、手順どおりに確実な操作を続ける。滑らかな手さばき、計器と外界とのクロスチェック、1つのミスも許されない。
フライト・タイム30分、タッチダウン!
下の海から心地よい風
馬鼻崎(ウマバナザキ)を抱き込むように左旋回しながら高度をおとす。
「500!!」市田副操縦士が高度をコール。
「400!!」
ツインオッター機は牧場の上でなお左旋回。
「200!!」小柄なヨナグニ馬、母子の牛たちが、もくもくと牧草を食べている。
原田機長はツインオッターの機首を北東の横風にあわせて修正。風に流されないよう、いく分、北へ振る。迫ってくる滑走路に対し機首をやや左に、カニのようにしてファイナル・アプローチ。「100!!」あと数秒。とっさに機首を滑走路の軸線に正対させる。と同時に、エルロン(補助翼)で風上側の左翼を下げる。ラダーを右足で踏み込み、滑走路のセンターラインから横にずれ込もうとするツインオッターを押える。見事な呼吸。機械のつけ入る余地のない瞬間。スピード計81ノット。“ズーン”接地。
「ユー・ハブ(You Have)!!」キャプテンは、そう叫んでパワーレバーを副操縦士に。両手でコントロールしながら、地上滑走に専念。プロペラはリバースに切り替り、制動。またたくまにスピードがおちる。
「フラップ」−「アップ」
「ナビゲーション・レディオ」−「オール・オフ」
「トリム・タブ」−「ニュートラル」
スポットへタキシングさせながら市田副操縦士のコールにこたえるキャプテン。
乗客が降りる間に市田が飛行記録をつける。
「石垣離陸9時24分、与那国着陸9時54分。フライト・タイム30分。……」
「石垣と与那国の間は、よく天気がかわるなあ。積乱雲の列がレーダー・エコーになっていたのに、もうない。移動したんじゃなくて、消えたんだよ。気まぐれだよ」とキャプテン。
絶壁の下の海から、心地よい風が吹き、汗ばむというほどではない。ツインオッターの下に出て、またキャプテンはつぶやいた。「きょうはセミがいないな。いい日だ」−ツインオッターのエンジンは、何故かセミに好まれるらしい。スポットにとまったとき、プロペラに打たれ、セミがたくさん落ちていることがある。キャプテンはセミも好きだから、きょうは2重にいい日だ。2人のパイロットは並んでターミナルに歩いて行く。15分後には、もう石垣に向けて飛び立つのだ。
このレポートは1977年12月発行の『世界のエアラインCatalogue2』(KKワールドフォトプレス)より転載させていただきました。
このページの作成に当たり、「南西航空写真館」の趣旨をご理解のうえ、快く掲載をご承諾いただいた鍛治壮一氏に厚く御礼申し上げます。
あわせて鍛治氏をご紹介いただいた文林堂『世界のエアライン』編集長、西村直紀氏に深謝致します。
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