遂に復活!!

 遂に南西航空塗装機が復活する。20年の時を飛び越えて…
 もう復活が決まった段階で沖縄行きは決定事項であった。そしてJTAの粋な計らいで新空港の開港前後に那覇〜石垣線に就航させると言う。

 3月6日に閉鎖となってしまう旧石垣空港には、やはり強い思い入れがある。
 20代の頃さかんに先島を訪れていた私は、何度もこの空港のお世話になっている。
 当時は石垣やその他の島に直行するフライトはなく、必ず那覇、石垣での乗り継ぎが必要だった。
 横風に弱いツインオッターでは「天候調査」で何度もハラハラさせられたし、台風の時はもう絶望的な番号のキャンセル待ち整理券に半ば諦めたこともあった。
 その石垣空港にSWALジェットが復活し、就航するというニュースが入ったのが2月15日であった。

あつかましくも願い出る

 勤務中にこの情報を知った時、最初は「まさか」と思った。しかしJTAホームページでそのイラストを見た途端、仕事が手につかなくなってしまう。
 「遂に、遂にこの日がやって来た。でもまだ夢を見ているようだ…」
 記事は何度も何度も読み直した。イラストもじっくり見た。やっぱり本当だ。夢ではないのだ。

 実のところ、石垣空港の閉鎖及び新空港開港はいずれも平日で渡沖は諦めていたのだが、この知らせを聞いたら是が非でも一早く南西塗装機が見たいという気持ちが湧き上がり、居ても立ってもいられなくなる。
 SWALジェットは「乗りたい」と言うより先ずは「見たい、撮影したい」という気持ちのほうが強く、その為曜日のことも考えず無理を承知で早速プレス向けの「お披露目」会に参加させてもらえないかJTAに問い合わせてみた。暫くすると、参加できるよう社内で検討中である旨の返事が来た。
 そしてその1週間後、待望の連絡が届いた。それによるとお披露目会は3月5日の13時30分からで、第1便は中部国際空港行きJTA254便である事もわかった。
 早速日帰りの日程で石垣行き直行便と那覇までの戻り便、そしてSWALジェット第1便の予約を完了させ、出発の日を待つ体制に入る。

整備が遅れて間に合わない?…

 しかし好事魔多しで、このまますんなりとは事は運ばなかった。
 出発前日の4日午後、JTAより台湾でリペイント中の機体メンテナンスに時間がかかり、5日のお披露目会及び初便に間に合わなくなったとの連絡が…。
 もうショックとしか言いようがないのだが、如何ともしがたく、やるせなさに包まれる。
 それでも6日の石垣行き最終便までには何とか間に合わせたいという言葉に望みを託すが、かと言って不確かな情報で渡沖するわけにもいかずにどうするか判断に迷った。
 しかし一晩明けると、とにかく那覇に飛んで到着する際にその場で立ち会いたい…という事に考えが纏まる。
 その朝、いろいろと情報を頂いているJTAのAチーフマネージャーよりどうやら今晩中に整備を終えフェリー出来そうだという吉報が届く。
 それを受けてあわててスケジュールを練り直す。そして夕方には当初より発表されていた石垣行きJTA609便から運航が出来ることが確定した。
 その便の出発を見送ることが出来るだけでも嬉しいのだが、JTAがその初便の席を確保してくれると言うではないか。

 そんなわけで心は早やSWALジェットと石垣空港へと飛び始めた。
 全く昨日と今日の落胆と歓喜の激しさは何なのであろう…

思いもよらない石垣行き

 空がまだ完全に明けきらないうちに「24時間」遅れで自宅を出る。
そして那覇空港に着いたのは10時30分過ぎ。ここでAチーフマネージャーと面会し、3階の展望デッキへと向かう。
 「あっ、あそこにいた…!!」滑走路より海側にあるJTA格納庫の前ではまさに、お目当てのSWALジェットがトーイングを始めるところだった。
 前日の夜、台湾での重整備を終えて到着し、夜通しで外航機から内航機への変更作業や路線就航の手続きが行われたようだ。 初便となる石垣行きJTA609便の搭乗口はバスゲートの28番となっている。従ってこれからオープンスポットに誘導されるはずだ。
 滑走路を横切るのに少々時間を要したが、ゆっくりと「お披露目」をするように大型機の間をぬって12番スポットへ。
 それを確認し、ゲートへと向かう。ここでは「SWALジェット就航」の横断幕を持ったスタッフが我々を見送ってくれる。そして就航記念ギブアウェイを受け取った。

 クリアファイルとステッカー、それに…う〜ん、これはどこかで見た事がある復刻版路線図。
 …今年1月、ある関係者から私の所有する路線図(通称下敷き)と機内用うちわの写真がほしいと依頼され、それを送付した。45周年記念行事の一環として何やら企画があるとの話であったが、ひょっとするとそのひとつかもしれない。まあ勝手にそう思い込んでおく事とする。

南西航空のイメージ

 シップサイドにはJTA及び報道関係者も集まり、初便行事の雰囲気が高まる。偶然この便に乗り合わせた乗客も興味深げにカメラを構えている。
 やはり沖縄の青空の下で見るこのオレンジ&レッドの塗装は最高だ。
 「南西航空」「SOUTHWEST AIR LINES」、翼上の「SWAL」の文字、「SWALマーク」の尾翼…幻想ではなく、ここにSWALジェットが存在しているのだ。

 B-737-200の導入を期にこのオレンジ&レッドの新塗装が発表されたときの衝撃は、私にとって凄まじいものであった。JALのイメージの強かった旧塗装から独自性を強く打ち出した「第4の」航空会社は、このあと県外路線を含め拡大期に入って行く。県民からも親しまれ、更なる効率化を追求していく中で、JALとの関連性が強まっていく。それは反対に言えば独自性、主体性の喪失であり、JALグループの一翼を担うが為、「沖縄の」航空会社というイメージが薄れていった。結果としてペイントもJALそのものとなり、ファンとしてはとても残念な出来事であった。
 でもこうして20年が過ぎ、「うちなーの翼」でなくてはならないという想いが再認識された事によって、当時のシンボル的デザインが復活したわけである。
 …何をとってもまさにあの時代そのものなのだ。

最初のSWALジェットで最後の石垣空港へ

 春霞みの那覇空港を離陸し、南西に進路を取る。飛行中のエンジンカウルに映る機体もオレンジ色に光る。
 ただ機内にいてもう一つしっくりこないと感じたのは、座席シートが青、緑、オレンジのカラフルなものではないという事。しかしこれは贅沢というものであろう。
 石垣島周辺は花曇りとの報告通り、ひろがった雲をかいくぐって南より回り込み、滑走路04へタッチダウンする。
 空港周辺や送迎デッキには多くの人達であふれている。そして今後味わうことも無くなる「強烈な逆噴射とブレーキ」を体感すると、向きを反転し1番スポットで機体を180度旋回させて停止した。

 ボーディングブリッジはないのでタラップでの乗降となるが、いつもここでは後方ドアも使用する。降り立って振り返ると、SWALマークの尾翼が八重山の空高くに聳えている様にも見えてくる。やはり石垣空港にはSWAL塗装がとてもしっくりと来る。 今回の石垣滞在時間は約1時間半。送迎デッキで機体を撮影し、正門ゲート、建物外観、内部等々くまなくカメラに収めていく。
 那覇へ戻るSWALジェットは20分程遅れてスポットを離れる。撮影もままならないほど人々でごった返す送迎デッキでは「南西航空だよ、懐かしいなぁ」といった声があちこちから聞こえてくる。しかし飛び去って姿が見えなくなると、いつの間にか通常のデッキの風景に戻っていた。

 石垣空港は1981年に初めてここに降り立った時と全体の雰囲気は変わらない。南西航空の看板がJTAに変わり、YSとツインオッターがいなくなり、当時なかったエアコンが完備されたぐらいか。あ、それからもう一つ。出発便案内のボードが反転フラップ式案内表示機(いわゆる「パタパタ」)からLEDにも変わっている。
 どうやら那覇へ戻る次の便は50分ほどディレイするようで、ここでの滞在時間が増えることになった。そのおかげで15時から行われる歴代CAユニフォームお披露目にも立ち会うことが出来た。(余談だが、わたしはやはりオレンジのものが一番好きだ) 今日の最終便までこのCAユニフォームによるサービスは続くようで、搭乗機のシップサイドでも我々を見送ってくれる。この時、後方の機体は南西塗装ではなかったが、それでも艶やかさに包まれる。

うちなーの翼として

 那覇に戻ってからは最後の一仕事。それは石垣行き最終便のSWALジェットの見送りだ。
機体はすでに22番スポットに横付けされている。ピア内からだとボーディングブリッジが邪魔で、全体を見渡すことが出来ない。
今日の日没は18時33分ですでにその時間を過ぎている為、空全体が急速に群青色へと変化していく。さらには室内照明の映り込みが強くなるので、いつものように片手で影を作りながらの撮影となる。
定刻を15分ほど過ぎた19時過ぎにプッシュバックが始まり、JTA625便は57年間親しんだ石垣空港に別れを告げる為、最後のレグに旅立った。「最終便は是が非でもSWALジェットで…」という関係者の強い思いがあるから、石垣では大きな歓声をもって出迎えられる事であろう。そしてそれは終わりではなく、新石垣空港や日本各地の空港にSWALカラーをアピールする「うちなーの翼」としての旅立ちでもある。