今でも当時のままの雰囲気を残す波照間空港での「さしば」JA8790。1978年7月。KEKOS夫さん撮影、提供。
春の八重山はこんな天気が多い。石垣から日に3便やって来る。与那国空港スポットにて。「ばし」1983年3月。
冬の日差しを浴びて南大東への出発を待つ「ぎんばと」JA8808。那覇空港。1984年1月。
さとうきび畑のなかで西日を受けて佇む「ぎんばと」。のどかな風景だ。南大東空港。1984年1月。
この密閉感が何ともいえない「一体感」を醸し出す。コックピットの扉はこの日は「閉鎖」。1984年1月。
今日もまだまだ暑い。与那国までもう1フライトだ。JA8790「さしば」石垣空港。1984年7月。
お気に入りの一枚。与那国にはツインオターが良く似合う。JA8796「ばし」。1984年7月。
夏の抜けるような青空のもと、与那国空港へアプローチ中の「ばし」。テンダバナにて。1984年7月。
機首を滑走路と平行にし、冬場の北風に対応する。JA8790「さしば」1984年12月。
正月の多良間空港。この当時、宮古、石垣線の他に那覇直行便もあった。JA8796「ばし」1985年1月。
石垣空港スポット上のJA8802「あじさし」。KANEKO Tomihiro(Kame)さん撮影、提供。1985年3月23日。
手前の「さしば」と最後に新塗装になった「ぎんばと」では尾翼のデザインが違うのがわかる。今年もあと僅か。1985年12月。
夕刻、石垣空港の格納庫を覗いて見ると「あじさし」が翼を休めていた。今日も一日ご苦労様。1986年1月。
現在では奇しくも第一航空のDHC-6-400が乗り入れる粟国空港。1日1〜2便がやって来た。「あじさし」1986年5月。
粟国空港を飛び立つ「あじさし」JA8802。このタイプの尾翼塗装は「あじさし」と「さしば」の2機。1986年5月。
出発が遅れ夕日が傾く。冬の18時前だがまだ日は高い。最後の与那国行き「ばし」。1987年2月。
RAC移管直前のJA8790。機体から愛称が消え、レジに変わっている。1992年10月頃。多良間空港。Milk Airさん撮影、提供。
照り返す太陽のもと、スポットから離れるJA8796「ばし」。撮影時期不明。那覇空港。ジーグルーさん提供。