旧離島線ターミナルからはこのアングルが定番だった。B737は3機が稼動中。JA8443。1980年9月。
夏の日差しを受け出発準備中のJA8443。那覇空港国際線ターミナルより。1984年7月。
乗客の搭乗を待つ那覇行きJA8467。石垣空港送迎デッキより。1984年7月。
瀬長島へ続く道はアプローチコースの真下。北風時はこのように頭上をかすめて着陸する。JA8445。1985年1月。
那覇へ向けて離陸しようとするJA8443。石垣空港送迎デッキより。1987年2月。
石垣空港スポット上のJA8250。KANEKO Tomihiro(Kame)さん撮影、提供。1987年3月25日。
岡山空港のスポットで折り返しの準備中。有田忠弘さん撮影。1988年7月29日。JA8250。
岡山空港での航空ショーに参加したJA8282。同じく有田忠弘さん提供。1989年4月。
ようやく実現した羽田〜宮古直行の第一便はJA8282で。羽田空港。1989年7月。
羽田からの直行第一便が宮古空港へ到着。折り返し羽田行きのセレモニーが始まる。JA8282。1989年7月。
名古屋空港でプッシュバック中のJA8492。野村和広さん提供。1991年冬のある晴れた日に。
名古屋より到着したJA8282。名古屋〜山形線は南西初の本土内路線。山形空港。1992年7月。
1日の仕事を終え、翼を休める。1992年10月那覇空港にて。Milk Airさん撮影、提供。JA8475。
宮古へ向けてRW22へタキシングを開始したJA8467。羽田空港にて。松岡一城氏撮影。1992年12月。
こうした何気ない風景が往時を偲ばせる。那覇空港でのJA8475。宜保まさと氏撮影。1992年。
「南西」最後の乗り入れ空港となった鹿児島空港でのJA8467。この年の4月から僅か2ヶ月のお目見えだった。1993年5月5日 川上正憲さん撮影、提供。
マークと英文ロゴが機体から消えてしまったJA8577。山形空港にて。1993年 Yuji YOSHIMURAさん撮影、提供。
ペイントが寂しくなり、南西の終わりが近いことを感じさせる。名古屋空港にて。JA8577。“中部空港線”さん撮影、提供。1993年5月5日。
南西最後の日、名古屋行きを見送る。空模様と相俟って、哀愁を禁じ得ない。山形空港にて。JA8577。1993年6月30日。
1978年の夏から3ヶ月だけ存在した日本航空塗装のJA8443。主に那覇〜福岡線に就航。那覇空港。坂入健二氏撮影。
レジ 登 録 備 考
1 JA8443 1978年05月30日〜1995年05月19日 ブラジルVASPへ 2 JA8444 1979年01月19日〜1982年09月07日 石垣島でオーバーラン 3 JA8445 1979年08月17日〜1998年06月30日 ブラジルへ売却 4 JA8467 1980年11月26日〜1999年04月16日 米国へ売却 5 JA8475 1982年10月18日〜1999年03月31日 米国へ売却 6 JA8492 1984年06月22日〜2002年08月01日 最後まで那覇空港に 7 JA8250 1986年07月18日〜2002年08月01日 〃 8 JA8282 1988年06月16日〜2000年07月11日 アイルランドへ売却 9 JA8366 1990年05月29日〜2002年03月15日 ブラーセン航空より 10 JA8577 1993年01月21日〜1997年12月15日 米国へ売却 11 JA8528 1993年06月28日〜2001年06月28日 導入時よりJTA塗装